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国産スクリーン印刷機誕生秘話9

<昭和55年6月13日金曜日 日本工業新聞>

電子を刷る⑨ ニューロング精密工業

昭和四十八年のオイルショック以降、日本の企業は、新しい対応を求められている。まだ、年間売り上げ十億円にとどかないニューロング精密とてその例外ではなかった。

旺盛な仮需要まででた市場も急速に冷え込んでいき、在庫資金の手当てに苦労しなければならなかった。急激な経済環境の変化で金融機関の対応も厳しくなり、四十九年の中頃には、それまでのおうようさがまったく見られなくなっていた。

だが、そうした厳しい環境に遭遇したからといって井上のチャレンジ精神はいささかもゆるがない。銀行が相手にしてくれない中で、井上は、二千万円の倍額増資に踏み切ったのである。

資本金四千万円である。前にも記したように、この業界でのこの企業スケールは稀な部類である。苦しいからといって守りにだけまわっていたのでは、いつまでたっても企業は大きく育たない。苦しい時にどれだけ力を出せるかがチャレンジャーの一つの資格にほかならない。

井上はいう。

「経営者の悩みはつきないんですよ。ウチの株式は私が半分以上もっていますから、増資といえばたいへんな金が必要なんです。いつも増資に向けて貯金しておかなくてはなりません。サラリーマンには思いもよらないようなことがたくさんあるんですよ。今後は、これ以上の増資には個人では応じきれないでしょうね…」

個人企業からスタートした企業も、そのスケールが大きくなるにつれて組織的経営の基盤を確立していかざるを得ない。その分岐点はそれぞれによって異なるが、井上も、四十四年から社員持ち株制度を導入するなど早くから組織経営の体制づくりに取り組んできている。そうした自信が、苦難期での増資にも結びついていくのであろうが、こうして井上はやはり一歩一歩前進を続け、新しい道を模索している。
昭和55年6月13日金曜日 日本工業新聞
市場ニーズの多様化は、機械の種類の多種類化を求める。機械の種類が増えていけば、必然的にスケール・メリットは失われていく。その中で、いかに安定した市場性を持ったスタンダードタイプを作っていくか。

「常に五~六種類のスタンダードを持ちたいですね。平均して売れる商品があれば、それをベースにあまり揺れのない経営ができるし、その利益を研究開発にふり向けることによって、スタンダードをもう一ランク、レベルアップすることができますからね」(井上)

当然のこととして、井上は、自動機にはあまり力を入れてこなかった。自動機は汎用性がないからである。

だが、二年前くらいからは、そう自分の都合ばかりいっておられなくなってきた。自動機への需要が高まり、その市場ニーズに応えていかなければ生き残れないことが明らかな時代になったのだ。自動機に、いかに汎用性を付加するかに技術開発の目標が変わっていった。

「答えからいいますと、いまはなんとかこの壁を突破しましたね。現在、自動機のウエートは全体の三分の一ですが、将来は、これを二分の一にまで高めていくつもりです」(井上)

オイルショック以後、立ちはだかったいくつかの壁をのり越えて、井上はいま、確かな将来の構図を視野の一端にとらえている。

市場のさまは刻々と変わっている。十年前、ようやく姿をはっきりさせた電子工業関連の需要は、今日ではその九〇%を越すまでになった。セラミック関係から各種ガラス印刷を中心にその需要はより一層多様化し、生活への密着度を高めている。

「五十五年度は、一つのピークになるものと思っています。目標は十五億円の大台にのせることですがなんとかなりそうです。五年後の市場スケールでいえば二倍ぐらいと思っています」(井上)

(敬称略)
<文・道田 国雄>

昭和55年6月3日~16日まで、2週間にわたって日本工業新聞(現:FujiSankei Business i.)に掲載された記事を、許可を得て転載しています。
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